20年以上差別され、皮膚科でも手術では匂いはなくならないと告げられ、
色んな場所で迫害されてきた私だからこそ、
私はあなたに本当のワキガの克服法を教えることができます。
私はデオドラントに年間10万円近く費やし、
ワキガに効果はない脱毛に20万円ほど払い、マッサージでワキガが治る
という2万ほどするDVDも買いましたが、
ワキガが無くなることはありませんでした。
それでは、ワキガで思い詰めたことがある人だけに、私自身が思い詰めた痛烈な経験をお話します。
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私のワキガは母からの遺伝です。
統計的にも、ワキガ体質は【女性】の方が多いようです。
しかし私のワキガの匂いに悩まされたのは…。
血のつながっていない育ての母でした。
私が自身のワキガを知ったのは小学校4年生のとき。
二階の自分の部屋にいた私は
父と育ての母に、リヴィングに呼ばれて座りました。
二人の顔を見たときに、真剣な顔をしていたので、
ただ事じゃないことは伝わってきました。
後ろでテレビが流れていて、夕方のニュースだったと思います。
当時、父が嫌いだったので居心地が悪かったことを覚えています。
最初に口を開いたのは父でした。
父「ワキガって知ってる?」
私「知らない」
母「ワキガって言ってね…脇が臭い体質なんだよ。この間一緒にプール行ったでしょ。あの時に気付いたんだけど。」
父「お父さんの脇はワキガじゃないから臭くないんだよ。匂ってみて」
父はシャツをまくり上げて、自分の脇を開けてこちらに向けて、匂うように言ってきました。
(気持ち悪…その意味の分からない距離感が嫌いなんだよ)
と心の中で文句を言いながら、恐る恐る匂いました。
腋毛がしっかり生えていながら、確かに臭くなかったけど…
父「お前はワキガだからワキが臭くなるんだよ」
そう言われても小学生の私にはそれに何の問題がある
よくわかりませんでしたし、
とにかくその場から離れたかったのを覚えています。
だけどどうしても気になったことがありました。
私「どうして私だけがワキガなの?」
父「産んでくれたお母さんがね、同じワキガだったから
お前に遺伝で移ったんだよ。」
小学4年生だったので【遺伝】という言葉自体、
よく理解していませんでしたが、
実の母親から発生していることはわかりました。
そしてこの頃、私は少し早い生理が一度だけきたのです。
保健の授業で習った【第二次性徴期】です。
そしてそのとき、育ての母がとても難しい顔をしていることも、
見逃しませんでした。
育ての母はきっとすごく複雑な気持ちだったと思います。
育ての母が私のワキガの匂いが漂ってくるとき、
恐らく父の前の奥さんのことが頭に浮かんできたと思います。
私の育ての母にとって、
私のワキガの匂いは自分の夫の前妻の匂いなんです。
当然、匂い自体に気分を害したでしょうし、
当時の母の気持ちは計り知れないものがあると、今ならわかります。
それから父は続けて言いました。
父「このことは誰にも言ってはダメ」
それ自体もなぜ言ってはだめかわからなかったし、
私は特に「秘密」に弱かった。だからその後小学校で、
3人の友達にワキガの話しました。
「わたし、ワキガなんだって…!」
ある日、その友達三人でふざけながら保健室で熱を測っていました。
体温計をみんなで順番に使い、私が測り終えて次の子に渡すとき、
その子から少し怪訝な顔で
「脇のやつって、移らないよね?」と言われました。
小学4年、仲良くしていた子から…。
あきらかにその顔は嫌がっていました。
私「私の皮膚と交換しない限り移らないよ…」
(ワキガの仕組みも知らなかったのにこんな返しを良くしたな…)
と言ったのですがとにかく子供ながらに私は不安に駆られます。
わたしがワキガにもっと悩まされていくのは中学生になってからでした。
その頃インターネットを使っている人は少なかったし、
携帯を持っている子はほとんどいなかったのでどこから情報が入ったのか
わかりませんが『ワキガ』という単語は、
馬鹿にするワードとして使われていました。
何故か私は「自分のワキガはバレない」と、
変な確信があったので気にしていませんでした。
今思えば自分の匂いは自分でわからないから私は臭くないと思い込んでいたんです。
そして自分のワキガを認めたくありませんでした。
だから当然の結果ですが、私はその後たくさん傷つきます。
中学生になってから、【ワキガ】という言葉は周知されていきます。
私は、自身がワキガだったので、ワキガは常に隣り合わせでしたが、
みんなどこから「知るんだろう…」と不思議でした。
当時はテレビでもワキガを馬鹿にしていたのかも。
男子は私とすれ違う度に鼻をつまんだり、陰で「臭い」と言っていたり、
ワキガの話を私に聞こえるように女の子がこっちを見ながら話していたり…
部活の遠征でのバスの中では、ある男の子から
『くっせー』と私に聞こえるように言っていたり、
ある子からは、
『○○ちゃんはお家遠いから試合の時は親に送ってもらったら?』
と言われたり。(つまりバスに乗るなと)
体育の時間は私とペアを組んでくれる子がいなかったり、
部活中には違う部の男の子が掛け声に混ぜて大声でワキガ!
と叫んでいたり。
勝気な性格だったので学校では何でもないふりをして、
いつも家で泣いていました。
だけど私のこの体質は記憶の片隅にしかない私を産んだ母の遺伝なので、
どこにもこの悲しみをぶつけることができませんでしたし、
どうすれば匂いが消えるかと相談する人もいませんでした。
産みの母を恨んだことはないですがハンデを背負った気持ちでした。
ワキガによって何度傷ついたかわかりません。
それでも育ての母は匂いがついた私の制服をいつも漂白したり、
ラジオで聞いた評判のいい制汗剤を買ってくれていたり、
部活の試合で匂いがきつい時は「拭いてきなさい」と、
言いたくないことを言ってくれて、
一生懸命フォローしてくれていたのでなんとか学生時代を乗り越えることができました。
だけど、私の制服は漂白をしすぎて校章が消え、
黒の油性ペンで校章の跡をなぞり塗っていましたが、
男子からボロ着と言われてしまいます。
女の子からは、「どうして校章塗ってるの?(笑)」と聞かれて、
「漂白してるから…」と言ったら、ケラケラ笑われました。
さすがに、いつも匂いが残らないように洗濯してくれていた
育ての母には言えませんでした。
私のワキガを嫌な臭いと思っていても、なるべく私が傷つかないように、
頑張ってくれていました。
だけど、母が私の匂いにすごく嫌の顔を何度もしていたのを、
私は気づいていました。
それでも私の為に「汗を拭いてきなさい」「着替えなさい」
など言ってくれていたんです。
だけど、それが部活の試合中であってもお構いなしだったので、
私は露骨に態度で表していました。
ある日部活の試合の帰り、
私と同級生が来るまで一緒に帰っているときに、母が窓を全開にしました。
秋も終わりかけ、冬が訪れようとしているときです。
母は、同級生が車から降りた後、
『自分の匂い分からなかった?すごかったよ。』と言われました。
今でも忘れられません。
私が高校生になった時、父と育ての母は離婚をしますが、
離婚の原因は私のせいだと思っていました。
本当のところは分かりませんが…。
大人になって会う機会があっても、私が臭いからか目を合わせてくれないと被害妄想に苛まれていました。
確実に言えることは、私には唯一体臭を指摘してくれる、信頼できる存在がいなくなったこと。
大半の人はワキガ臭があっても教えてくれません。
くさい、匂うということはとてもデリケートなことなので、
誰も指摘できないんです。
自分が嫌われたくないからです。
つまり、あなたの匂いを誰も指摘してこないのは、
あなたに嫌われたくないから言わないのです。
私の育ての母はわたしの将来のために、
例え嫌われたとしても言い続けてくれていました。
克服した今だからこそそうだと思えます。
当時の育ての母の思いを、
わたしの無知さで沢山台無しにしてしまったと思っています。
ワキガだからと罵られ差別されたことよりも、育ての母の気持ちを踏みにじったことを今でも後悔しています。
できればこれを読んでいるあなたには後悔しないでほしいのです。
まだまだエピソードは数えきれないほどあるのですが、
これから沢山まとめてご紹介していきます。
後悔しないためには↓
・ワキガのことをもっと知る事
・あなたを思ってくれている人を蔑ろにしないこと
・卑屈にならないこと
恐らくこれだけ言われても、
あなたのワキガのトラウマは解消されませんよね。私もそうでしたから。
それはあなた自身に相談相手がいなかったからではないですか?
私は高校生から一人で悩んでいたので、
20年という時間がかってしまいました。
私は、ワキガで悩んでいる人の理解者になることを決意しました。
一人だと時間がかかると思います。現に私がそうでしたから。
私のnoteを読んで間接的に励みになれば、幸いです。
私に直接聞きたい場合は、
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